「あの父親を超えたい」今、家族のことを語る意味とは?

 

僕がこの世の中で

一番尊敬している人です!

僕のお父さん

鴨頭タケトと言います!

この写真です!

昔はあったっていう
証明の写真なんですけど
これまだ大阪かな?

大阪か小郡に引っ越してきたばっかりか

どっちかだと思うんですよ!

ちょうど僕が2歳か

3歳だと思うので

うちのお父さん

もう天国に行ったんですけど
もう本当にずっと尊敬しています!!

永遠のライバル
どうですかね 男の人

多くないですか?
自分のお父さん

いい意味で

「あの父親を超えたい」

っていう
勝手な願望を息子として持ってるっていう方

ちょっと手を挙げてもらっていいですか?

やっぱ多いですね男の人ね!!

ありがとうございます!

これ女の人とは またちょっと

感覚が違うのかもしれないんですけど
僕にとっても父親って偉大な存在で

おそらく決して超える日は来ないけど
超えたいと思うような存在です!!

うちのお父さん

人に言えない仕事をしていました
反社会勢力じゃないよ

じゃなくて

組織で言うと 警察
でも警察って全国に

約40万人近く

働いてる人居るんですけど
警察の中にはごくごく一部

自分の職業 職務内容を家族にも

言ってはいけないという方が居ます!

 

うちのお父さん

そのごくごく一部
だから

ちっちゃい頃に親父

よく言われてたのは

「嘉人 気をつけろよ
 家には盗聴器が

 あると思って

 過ごしていろ」


「いついかなる

 時もうちの

 家族の発言は

 国に伝わってる」


多分想像だけど うちは盗聴器を

仕掛ける側の男だったから

そういうことを

言ってたんだと思うんですよ!!

ここは想像ですよ!!

そういう仕事って

映画とかには

出てくるじゃないですか!

本当に居るから映画に

なってるんですけど

知らないんですよ 今でも
僕 どんな仕事してるか

でもそういう仕事だったと思います!!

うちの親父が全国に行った時には
それこそ自分は何者であるかということを

言ってはいけない職業だったので
お葬式で来てくれたのは多分12、3人
本当に親戚だけでした!!

でもそのお葬式が終わってから

何日か経ってからうちの実家に
見知らぬ黒服の人が1人で訪れて来て
御焼香してくださって
総理大臣とか天皇陛下からの

表彰状とか勲章を置いて

帰ってくれるっていうような
そういうお仕事ですね!!

ひと言で言うと
国のために全てを

捧げ尽くして死んでいく仕事

そして国のためにどんな仕事をしていたかは
自分の奥さんにも子どもにも

絶対知られてはならない

仕事

想像するに職場で一度も

笑ったことが無い
そして
感謝されたことが無い

そんな仕事をずっと
20歳から
亡くなるまでやった
そういう人です!

例えば みなさんどうですか?

例えば サービス業で働いてるっていう人

ってどれぐらい居ます?

サービス業
多いですよね!!

でもサービス業って

幸せな仕事だと思いません?
ほとんどの方が一生懸命

目の前のお客様に尽くしたら
お客様に

「ありがとう」

 

って感謝されるシーンがある

うちの親父は一度も

ありませんでした!

だって自分が何の

仕事をしているか
決して公開しては

ならないからです!!

日本国民が安心で

安全な生活を送れるために

自分の命の時間の

すべてを捧げ尽くして
一度も日本国民から

感謝されることなく
天国に行きました

きっと職場では笑ったことが

無かったと思います!!

僕が聞いたところによると
沖縄に行ったのは

1971年5月の15日に

引っ越しているので
その日は沖縄が日本に

返還された日です!!

前の日まではまだ琉球王国

その日から日本
つまり本土からその日に

引っ越したのは

鴨頭家の4人だけ
うちのお父さんと

お母さんの僕と

お兄さん
そんな状況だったので

後からお袋に聞いた話によると
その当時お父さんは毎日

「俺はもう

 今日辞める
 もう辞める」

って毎日言うぐらい
つらかったと聞いています!!

それでも辞めなかったのはきっと
日本の未来のため

だったんだろうと思います!!

親父の仕事は自分が

生きている間に

花開くときは来ない

じゃあ何のために働いているか?

一度も感謝されることのない

次世代の子どもたちのために

日本を守る

そういう仕事

だったんだろうなと思います!!

でも僕の記憶の中にある親父の顔は

この満面の笑顔しか

記憶にありません!!

おそらく職場で一度も

笑ったことのない親父

働いていて誰からも

感謝されることがなかった

親父

家族の前ではいつも

満面の笑顔だった
僕の記憶の中にある親父

この顔しかないんです!!

よく 小郡から
うち お袋が内職で

お洋服を縫ってたんですけど
それを納めているのが
久留米にあった

「丸美屋」さん

っていう

もう無いですかね?

今は
丸美屋さんっていうデパート?

百貨店?
無いですね
に 納めてたので

しょっちゅうの週末

親父の車で久留米に行って

ラーメンセンターで

ラーメン食べるのが楽しみだった

ラーメンセンターはあります?

今も

ある?マジであるの!?

めっちゃ行きたいわ
あの紅生姜死ぬほど入れて食って

行ってた

行ってた

それが楽しみで親父の車に

乗って付いて行ってたんですけど
親父は仕事以外の時間の全てを

家族のために
使いたい

って思ってたような

親父だったなと思います!!

まあいくつか

記憶あるんですけど

親父 鹿児島に

単身赴任で住んでて

僕ら福岡に住んでいた

時期もあったんですけど

鹿児島から九州…なに?

縦貫道路って言うんでしたっけ?
あの高速道路

で 毎週末福岡に帰ってきてましたね!!

結構かかるんじゃない?
当時ホンダの360という

350ccの軽自動車に

乗ってたんですけど
でもうちの親父

これ大丈夫か?

言っていいのかな?
警察組織に居たんで

何キロ出しても大丈夫
これアウト?

もう死んじゃったから大丈夫?

お父さん
なのでものすごく
マフラーから火花を散らしながら
週末になると帰ってきてくれて
一緒に野球をしてくれました

うちの親父あれなんですよ!!

星一徹なんですよ!!

兄貴が星飛雄馬なんですよ
小さい頃から1歳半 2歳くらいか
2歳ぐらいから

「オモチャが欲しい」

「遊びたい」

って言うと
必ずボールかバットかグローブしか

買ってくれないんですよ!!

決まりがあるんですよ!

 

うちの親父はしかも
兄貴は右投げだったんだけど

バッターボックスに右で立つと

「違う こっちや」

って親父に教わるんですよ!!

右投げ左打ちって

野球選手として有利なんですね

わかります?
右投げのピッチャーが多いから
左のバッターボックスのほうが

球筋が見えやすくて
しかもバントとかすると

一塁が近いから

ヒットになりやすいんですね!!

細かい話ですけど

だからうちの兄貴は

右投げ左打ちにもう

3歳ぐらいで仕込まれていて

そして今治西高に進んで

甲子園ベスト4まで行って
プロ野球からも声が掛かるような

スター選手だったんですよ!!

立教大学に進んで1年から

レギュラーとって
腕の骨を折られて

野球やめたんですけど

そういうスタープレーヤー

だったんですけど
僕は体が弱くて

いつも野球がうまくできなくて
いつも自分が心の中で

「僕は出来損ないで

 お兄ちゃんはすごい人で
 勉強もできるし

 野球もすごいし
 お父さんに

 愛されてる」

って思って
でも僕も 小学校

だからあれだ!

小郡小学校6年生の時に
愛媛に引っ越す事になるんですけど
おふくろに聞かれたんですよ

「嘉人」

僕 嘉人ね!

「中学に行ったら

 部活なにやるの?」

って
僕らの時代って部活やるの標準じゃない?
ね?53歳伸び盛り

部活やってないと ちょっと

友達が作れないみたいな

そんな感じの雰囲気だったんですよ

それで

「部活何やるの?」

って訊かれて
僕その時こう答えたんですよ!!

「野球部 以外」

って
やっぱりね 兄貴がスターで

コンプレックスがあって
それで僕は中学に行って
野球部に入るんですよ!!

 

今 分析すると
野球は嫌いだったんですよ!!

ついぞ一度も僕

野球が好きになったことないんですよ!!

でも僕は中学高校6年間

野球部に居るんですよ!!

お父さん

愛されたかったんですよね!!

その当時の僕は

そんな親の愛とかがわからないから

今ならわかりますよ!!

野球なんかやらなくたって

愛されてたって
でも当時

わかんなかったんですよ!!

「野球やって活躍したら

 親父は
 自分のことを

 好きになってくれる」

と思い込んでたので
もうそのためだけに野球

やってたなと思います
実際は僕は体も小っちゃかったし

病気がちだったし

声だけはでかかったんですけど
ベンチですごい活躍するタイプ
なので ベンチで活躍してました
ずっと補欠で レギュラーにはなることなく

いつも

「鴨頭の出がらしのほう」

って
言われながら

野球を6年間やって

でも今思うと

僕の子どもの頃の全ては

「親父に認められたい」

もうそればっかりだったんだなというふうに

今では思ってます!!

なんで今日

親父の話を最初にしたかっていうと
12月21日

親父の誕生日なんです!!

きっと今日

この福岡の地で
たくさんの人の前で僕が

家族のことについて語るのを
親父は見ていてくれて

きっとそれが親父への

誕生プレゼントに

なるんじゃないかと思って
今だから 正直言うと
皆さんどうでもいいです!!

 

このくだり

お父さんのためだけに

喋ってます!!

でもきっと親父

見てくれているなと思って
この後もぶっちぎり

魂込めて講演やります!!
よろしくお願いします!!

親父 俺 愛されてるだろ?

ABOUTこの記事をかいた人

講演家、YouTuber。日本マクドナルドでの勤務を経て、2010年独立。人材育成やマネジメント、リーダーシップについての講演・研修を熱い想いで行う「炎の講演家」として活躍。これらを記した著書も多数。YouTubeチャンネル登録者数100万人以上、再生回数2億回以上を数える。