聞き力を鍛えるには「自分は聞けていない」と自覚することが大切
言ってみれば30分の動画であろうが10分の動画であろうが変わりません。
さっきの駅員さんのトークであればほんの数十秒。
たまたまそれはおっちゃんはすごく聞けてる量が少なすぎるわかりやすい例なだけであって、じゃあ我々の人の話30分聞けているのかとか10分聞けているのかとか、時にはAさんの話は30分でも聞けているがBさんの話は1、2分しか聞けないとか。
例えば上司の話はちゃんと聞ける部下の話は聞けてないとか、反対の人もいるかもね。
部下の話は聞けているが上司の話は聞けてないとかね。
だから、自分が聞けていないを前提に、聞き力を鍛える。
もう1回いいますよ。
自分が聞けていないを前提に聞き力を鍛える。
これが出来ないと
聞き力はもうね、今の時点が伸びなくなります。
要はね、できてると思うことが最も危険である。
これちょっと鴨塾の第2回目のコンテンツになってるんですけど、
やっぱね出来てるとか聞けているとか分かってる知ってる、すべて危険。
落とし穴があります。さっきのおっちゃんは聞けてると思ってるんですよ。
だから相手に「何言ってるかわかんねんだよ」という矢印を、
矢印というか指先だね、問題の指先を相手に向けることができる。
「俺は聞いてるけどお前の言い方がおかしい」
ということが前提になってるんで、だから聞き力を伸ばすポイントは聞けてない。
この出発点に立つことだね。
聞き力の達人になりたければ「ネガティブな面」を認識しろ!
つまり成長するというポジティブな面を自分の中で伸ばしたければ、
聞けていないというネガティブな面をちゃんと意識することです。
本当にわかってる?そうなんですよね。
だからコミュニケーションの達人とかプロの講演家で、トップレベルの人っていうのはネガティブなんだよね。
ものすごくネガティブ。そう、ネガティブです。
どうしても我々はポジティブは良いことで、ネガティブは悪い事っていう風に二元的に判断しがちなんですよ。
もちろん二元的に表現するのはわかりやすくなるというメリットがあったり、自分の頭の中が整理をするときには、二元的に判断するのっていいじゃない。
どっちが好きかどっちが嫌いかとか、どちらの方が正しいかどちらが間違っているかとか、
どちらのが効果的かどちらの方が効果的がじゃないか、これを2つに分けるとすごく整理がつきやすいメリットがあります。
それはそれで使っていいと思う。
要は整理をつけるというメリットをゲットしたい時にはね。
「相手の話を聞けていないと気付けるかどうか」が人生の分岐点になる
なんだけど自分を成長させたいときには、その二元的な考え方がすごく機会損失。
もったないことをしてるっていう面があるなってすごく最近感じます。
鴨塾でそんなことをすごく考えて言ってみれば、自分が知っていると思っていることがどれだけ危険かっていうことを伝えるコンテンツやそれを気がつけるようになる、要は分かってなかったことに気づけるようになるワークとかを今めちゃめちゃ考えてるんですよ。
そんな時にそのおっちゃんが目の前に現れてきたっていうのはね、おおこれ天の恵みだなと思って。
このおっちゃんと自分は同じやと思えるかどうかですよ。
ああもうこのおっちゃん全然人の話聞けてへんなもう大変やな、駅員。
終了!
ってしないってことです。
その出来事を見た時におっちゃんの話ではないと、私の話であるとどれだけ思えるかが自分が聞けてないことを気づけるか気づけないかの分岐点です。