脳を「使う」「使わない」の違いを鴨頭の実例で見る!
面倒くさいことを頑張ろうとやっていると、コミュニケーションの質が上がります。
僕が昨日ファイナンス会社の一つと喋ってるときは楽をしたんですよ。
“鴨頭:「テメェ!」「お前こそ何いってんだ、意味わかんねーよ!」
ファイナンス会社担当者:「テープ録音してますよ」
鴨頭:「録音しろよ!」「まき散らせよ!」「俺は俺の言葉でしゃべってる!」“
とか言って、結構楽してるんですよ、これ。実はね。
それでもNTTドコモさんに行ったときにはすごく考えるですよ。相手の立場とか、僕ネームプレートも見て、今役職者がどれくらいかなとかを見て、年齢も判断して。どんな言い方しようかなって全部計算します。
すごい丁寧にしゃべるんですよ。彼は中堅どころで入社してだいたい7年くらいだとか分かりますもん、脳をフル回転させれば。今日、この窓口いる中では結構仕事ができるタイプだって。全部わかります。
服の着こなし方とか、「僕と会うとき怒ってますよ」って言うのをちゃんと伝えてくれって言ってるから、その怒ったお客様の対応を任されて、僕しかいないな、という責任感とか。口元に現れてますから。
そんなんも、全部脳フル回転させれば分かりますから。すぐやれっていわないからね、そんなんね。脳はそれぐらいの能力があるよ、ということだけわかればいいですよ。
そしたらコミュニケーションの選択肢が見えてくるんですよ。「あー彼にだったら本当に伝えるべきことを伝えれば、もしかしたら会社に上げてくれるかもしれない」そっちのほうが“いい”なんです。
でもブチ切れたらさすがに彼だってクレーマーとして扱わなきゃいけなくなるんで、議論にならないんですよ。つまり、ドコモには上がらなくなっちゃうんです、意見が。事件しか起きてないから。
でも本当はドコモにあげたほうが、今日僕が嫌な思いをするだけじゃなく、僕は携帯ショップで働くすべての人が幸せになって欲しいと思ったわけですよね。
そのためには僕は、どんなコミュニケーション取るとその目的が達成されるか、というふうに逆算して喋るようになるので、そうすると変わってきますよね。
自分の目的を達成したいなら「選択的」コミュニケーションを取ろう!
返応的になっている時は楽してるんです。
“返応的ではなく選択的にコミュニケーションをとる”
書いとくか。返応的をやめて選択的です。あんまり 反対語になってませんけどね 、これだけでも変わっていきますね、コミュニケーションの結果が。
選択っていうのは目的を意識できているので、目的を達成しやすくなります 。
こちら(返応的)は目的が出てきてないんで。返応してるだけだから。
なんでファイナンス会社にキレたのかって、僕説明できないですもん。ただ返応しただけだから。何も考えてないですね。
それって、目的がないので目的が達成することはあり得ないですね。