感情を乗せて表現することは、聴き手にとっていいことなのか!?

「感情が込もって

 なければ駄目」

っていう感覚を離すということですね

多分

「うまく話せた」

という実感を

「自分の感情を

  乗せてしゃべれた」

と混同してるんですよ!!

それは僕も含めて
言ってる意味 わかります?

「今回はうまく

 表現できたなあ」

というのは

「自分の感情も

 乗せることができたなあ」

っていうことを

「うまくしゃべれた」

と私たちは表現してるわけですよ!!

でも 例えば僕に

初めてスピーチ

教えてくれた

西任暁子さん

彼女はFMラジオ

カリスマDJ

なわけですよね!!

彼女が自分の感情を乗せて

しゃべったことなど

ほとんどないんですよ!!

どういうことか?

リスナーさんとか

ゲストさんとか

時にはメーカーさん

広告主が伝えたいことを
上手に伝えるという仕事なんですね!!

だから自分の感情なんて

かけらも無いんですよ!!

だけど上手に彼女は

しゃべれるんですよ!!

なぜなら彼女が上手に

話すということは

「正確に相手に

 届けるべきものを

 届ける」

っていう概念になっている

そこに

「自分の感情が

 乗ってなければいけない」


入ってないんですよね!!

だから上手にしゃべれるという

実感が ちょっと

今 我々が

もしも

「自分の感情が

 乗せられたなあ」

っていうこの実感が

「上手にしゃべれたなあ」

と思っているのであれば
間違っているところがある

ということですね!!

もちろん 自分の感情を

乗せて表現できたことは

表現としては価値があると

僕は思ってるんですよ!!

だけど それが

「上手に伝えられた」

と イコールではない

だから

「自分の感情を

 乗せてしゃべれた」

という実感が

「うまくしゃべれた」

と思っては ちょっとおかしいので
そこからちょっと1回切り離した方がいいな

という風に思います!!

これが1つ目の答え

そうそう

「感情が込もってないと駄目」

という感覚から離れる
そうだね!!

じゃあ どういう感覚になって…

もう1つのね
どうやったら固定文章でも

うまく話すっていうところに

うまくっていうか

しっかりくるかというと

あくまで

「聴き手にとって

 価値があるか」

どうか
そこにやっぱり立ち戻る

ということですね!!

自分の感情が乗っているかというのは
あくまで ちょっと極端に言いますよ!!

自己満足レベル

「上手にしゃべれた」

であって
相手に伝わったかどうかとは

また別の話なんですよね!!

例えば商品の紹介

例えば何でもいいわ

「この時計って

 いい時計なんですよ」

っていうことを

「いやマジでこの時計

 やばいですよ!!

 もうこの時計を着けて

 街を歩いている時の

 気持ちわかります?」

っていうのが

「うまくしゃべれた」

っていう風に
極端に言うと

ちょっとなりかかってるということ

我々は ややね
少し寄ってるってことね

でも そうじゃなくて

「この時計の素晴らしさは

 まずは この塗装に

 あるんです!!

 この塗装というのは

 まず あまり太陽の光など

 
 それから照明などに

 当たっても
 強く反射し過ぎない

 ように柔らかく
 つまり光をそのまま直接

 相手に向けないように

 なっている
 そういう塗装に

 なっているので

 目が疲れない
 これはもちろん

 他の人に対してもそうだし
 自分自身が時計を見る時にも

 目が疲れないという

 効果があります」

これって感情乗せるかどうか

あんまり関係無くないですか?

商品を買う人にとって
要は極端に言うと

テレビのCMとかラジオのCMで
DJとかMCの人があまりにも

「この商品がいい」

っていうことを感情を乗せると
消費者ってどう思います?

「嘘くさい」

と思いません?

例えばいい例かどうかわかりませんけど

テレビショッピング

テレビショッピング

ってめちゃめちゃ
紹介する人が感情を乗せることに

寄っている例だと思うのよ!!

「これはすごいですね!」

「本当に素晴らしいです!」

って言っているのを見て

「うわあ 本当に

 素晴らしいんだ」

と思ってる?
僕 思ってないですね!!

「わざとらしい演技だなあ」

って思うんですよね!!

昔はそういうのが

伝わったかもしれないですけど

なんか今 もう消費者

賢くなってきているので

感情を乗せた表現で

商品紹介をすると

かえって不信感っていうのを

想起させることがあるので

1つの例ですけど

自分の感情を乗せて表現することが

本当に聴き手にとっていいことかというと
そうとは限らないということを理解して

「自分はどんな役割を今

 担っているんだろう?」

という風に
シフトした方がいいと思いますね

固定文書を読む時というのは

その文章を理解する

要は相手が理解した

意味がわかった

「なるほど

 そういうことか」

っていう理解 納得が
リーチ点になっていると思うんです!!

固定文章っていうのは
ということは

「わかりやすく話す」

っていうゴールを達成すればいい

目的か

「わかりやすく話す」

っていう目的

「相手が理解できる」

っていう目的
を達成する時には

実は自分の感情というのは

必要ないっていうことに

気づくと思うので

なので すごく伝わることは必要がなくて

ちゃんと理解できる
逆に言うと ちょっと人間の

特性から少し離れた方が……

何言ってるんだ 俺

話している人があんまり

出過ぎちゃうと

かえって伝わらないことってあるんですよね

西任さんに言われたことあるわ それ

「鴨さんは 鴨さんが出過ぎで

 鴨さん以外が伝わらない」

みたいなこと言われたことがあるの

「もっとコンテンツを

 伝えなさい」

みたいな

「相手はコンテンツを

 受け取ってません

 鴨さんを受け取ってます」

みたいな
正直に言うと

そのアドバイスは

めっちゃ的を得てるけど

僕の人生理念や僕が講演家

してしゃべってる目的とはずれてたので

採用しなかったわけですよ!!

僕はコンテンツ

提供したいんじゃないですよ!!

人気者なりたいんですよ!!

ということは

コンテンツが売れることよりも
僕が売れることの方が価値があったので

西任さんのご指摘

アドバイスはめっちゃ的を

得てるんだけど
不採用

僕の目的と違うからですね!!

これいい? 合ってる? 大丈夫?

全然 ディスってません!!

彼女の言ってることは正しいので
彼女はやっぱり

ディスクジョッキーっていう

役割を果たしてきたので

DJだけが売れちゃうのって

メーカーさんは喜ばないんですよ!!

広告主は自分の所の

会社の商品が売れたり
ブランドイメージが

上がることがゴールであって

DJが売れることは

何も喜ばない人たちなので

そうそう アナウンサーのニュースの

原稿の読み方ってまさにそうですね

アナウンサーの人が

「今日の原稿読み

 俺マジ完璧だった」

みたいなやつって

一番伝わりにくいんですよね!!

「あいつ自己陶酔してね?」

みたいになっちゃうので

「明日の天気は快晴です!

 間違いない!
 今日は少し曇ってたけど

 どうか期待してください!
 明日は快晴!

 降水確率0%です!」

とか言われちゃうと

「うるせえよ」

ってなるでしょ!!

「明日の降水確率は0%

 快晴です」

みたいなね!

そっちの方が伝わりやすいじゃないですか!

この時に読み手の人が

「すごく上手に読めた」

ってなってますかね?
多分なってないと思うんですよね
実感が伴う必要性がないので

だから結局 定型文っていうのは

定型文そのものに価値があるのであって

読み手には価値がない

聴き手にとって

そうなってた方がいいんですよ

読み手よりも

コンテンツ

文章の方がちゃんと相手に

伝わってることが大事なので
だから僕なんかは講演家で
自分を売ることを生業としてるから

こういう風に

コンテンツよりも

鴨頭みたいな感じに

なるんですけど
でも定型文を読む時は多分

定型文の文書の内容そのものが

相手にとって価値があるので

自分が

「うまく話せたな」

という実感はいらないと
手放した方がいいっていう風に

僕は思います!!

ABOUTこの記事をかいた人

講演家、YouTuber。日本マクドナルドでの勤務を経て、2010年独立。人材育成やマネジメント、リーダーシップについての講演・研修を熱い想いで行う「炎の講演家」として活躍。これらを記した著書も多数。YouTubeチャンネル登録者数100万人以上、再生回数2億回以上を数える。