本記事は動画の【06:37】辺りから▶「幸せになる」心豊かに生きるための行動習慣
「ボランティア」は「利己」と「利他」の間で成り立っている
俺が、なんとなくモヤっとしてまだわかってなかったんだけど、言葉にすると利己のボランティアって言葉がウワーって。
あるよね?
あるよね?
なんか失礼じゃないか、みたいな。
でもそうだよね?
利己のボランティア。
もしかしたら私たちは利他は良いことで美しいこと、利己とは浅ましいことっていう風になんか思い込みすぎてるんだと思う。
だって「成長したい」って言う人をなんて言う?
浅ましいって言いますか?
「あの人と会いたい」って言った人を、自分のことばっかり考えんなって言います?
でもそれって利己の精神じゃん。
会いたいとか。
ある意味たまに出てくるよね。
ボランティアは結局自分のためにボランティアしてるみたいな。
偽善だとか。
あえて言いますよ。
良いんじゃない?
誰かを助けて気持ち良くなって良いんじゃない?
ダメなの?
誰かを助けて気持ち良いと思っちゃ。
良いんじゃないっていうのが僕の考え方で。
中村さんもきっとそう思ってる。
良いんじゃないって。
スーパーヒーローになりたくってボランティアやったらいけないの?
え、良いんじゃない?
だって、そういう人がいないと瓦礫の撤去も間に合わないし、瓦礫の撤去をした後に、その子たちのメンタルのケアも間に合わないし。
これから超高齢化社会になった時に、そのおじいちゃんおばあちゃんたちが肉体的に困った時にどうすんの?
利己の精神の若者がいて良いんじゃない?
おじいちゃんおばあちゃんにありがとうって言ってもらえたのが嬉しかったから、もう1回ありがとうって言われたくって手を差し伸べるって利己じゃん。
違う?
これ利他なの?
曖昧じゃない?
利己と利他って重なってない?
まあまあ、同時に起きない?
僕はYouTubeで自分の生き方を自己中心的利他っていう言葉をお借りして表現しているんですけど。
”わたしご”は僕のわがままです。
誰からも頼まれてません。
利他の精神じゃないです。
僕がやりたい。
自己中心的プログラムです。