今日から!!
「人生で大切なことはみんなマクドナルドで教わった」の内容を少〜しだけ紹介しちゃいますっ!
『肩書きではなく、仕事の価値は自分が決める』
〜その1〜
僕の生まれは大阪府堺市で、小さな頃は九州・四国と父親の仕事の関係で転々として育ちました。
中学、高校は四国で甲子園を目指して1年364日(夏の大会が終わった次の1日だけは練習がない唯一の日)野球ばかりしていました。
当時住んでいた愛媛県今治市には、マクドナルドはおろかファストフードなるものは1軒も存在せず、当時出店が始まったばかりのファミリーレストランが1店舗オープンして「ずいぶんハイカラなレストランができたなぁ」と思ったぐらいでした。そんな僕がマクドナルドの存在を知ったのは、19歳の春。高校を卒業して大学に進学する為に上京してきたときでした。
正直に告白すると、初めてファストフードを知ったのは池袋のサンシャイン通りにあるロッテリアでした。
若い女の子がサンバイザーをかぶってやたらに笑顔を振りまき、あろうことか男子までもが同じような赤いユニフォームを着てニコニコしているのを見て、あまりに気恥ずかしくて、店内で急いでリブサンドを食べきって、店を後にしたのを覚えています。
田舎で野球ばかりしていて、家以外では合宿所と学校以外で食事をする機会のなかった僕にとって、ファーストフード店は都会的で眩しすぎた。
「あんな所、男に愛想ふりまく女と軟派な男がいく所だろ!」なんて、硬派ぶった言い方で田舎ものとバレないようにする為になるべく近づかないようにしていたものでした。
そんな僕がマクドナルドでアルバイトをするようになったのは、大学生になって1人目の友人に「バイトならマックだよ!一緒に面接行こうぜ」と無理やりに連れていかれたのがキッカケでした。
「とりあえず、面接に付き合うだけだから・・・」と軽い気持ちで、所沢駅前のプロペ通りの入口にあるマクドナルド所沢店に入っていきました。
すぐに事務所に案内され、きりっとした感じの女性社員の方に面接をしてもらいました。
すると「じゃぁ、早速!明日の午後3時からね!がんばってね!」と勢いよく肩をたたかれてしまいました。
体育会育ちの私は、条件反射的に「はいっ!」と答えてしまい、僕のマクドナルド人生の幕が上がることになったのです。
当時は、エンジ色に白いラインが入ったジャージ生地のスポーティーな感じのユニフォームでした。
ズボンのすそ上げをする為に家に持って帰り、着てみた姿を鏡に移した時にはたまらなく恥ずかしかったのですが「まぁ、どうせすぐに辞めるし…付き合いで少しだけ 働いてみるか」くらいの軽い気持ちでいました。
しかし、アルバイト初日に経験した衝撃的な出来事で、一瞬にしてその気持ちは180度方向転換させられてしまうのでした…。
<〜その2〜へ続きます>
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