本記事は動画の【1:05:41】辺りから▶【特別授業】学生に贈る、仕事の価値は自分でつくる!
死ぬこともできない。生きる方向性を完全に見失った伊藤愛子さん
そんな時7つ下の弟が結婚しました。
弟の奥さんのお腹の中には赤ちゃんがいて、弟も奥さんもその周りにいる全ての人たちが幸せに包まれていた。
私はそれを見た時、頭の中の何かがパーンと壊れました。
私は家を出ました。
北海道が大好きだったので、人生の最後に北海道で美味しいものを食べて死にたい。
そう思い、札幌に行きました。
高級なお寿司を食べ、カニを食べ、海鮮丼を食べ、全ての予定をクリアした私は1人ホテルで首を吊りました。
気がつくと床に倒れていました。
縄をかけたところが折れて死ねなかったんです。
死ぬこともできない、生きることもできない。私はどうしたら良いんだろう?
ふと携帯を見たら、お父さんとお母さんの着信で埋まっていました。
1分間から数分間隔で何百件と。
それを見た私は結局家に戻ることにしました。
家に戻った私は引きこもりになったり、男としてもう1回生きてみようかなとチャレンジしたり。
でもやっぱり、でもやっぱり私は女性として生きていきたい。
また面接を受け始めました。
伊藤愛子さんの転機。塚田農場との出会い
でもやっぱり現実は厳しかった。なかなか受からなかったんです。
そんな私に転機が訪れます。
塚田農場との出会いです。
面接をしてくれたのは当時エリアマネージャーだった天野さん。
天野さんは会社に「俺が責任を取るから、雇わせてくれ。」と何回も何回も掛け合ってくれ、私は塚田農場に採用が決まりました。
やっと女性として働ける、なりたい自分になれる。そう思い、働きました。
でもなんか上手くいかなかったんです。怖かったんです。
あの面接での出来事全てが私のトラウマになっていたからです。
おしぼりを持っていって「こんばんは。」っていうのも怖かった。
あるお客様には「塚田農場には若くて可愛い女の子がいるって聞いてきたのに、お前は若くもない可愛くもない女でもない」って言われた。
ネットに陰口叩かれてるんじゃないかなって思って、「塚田農場 ニューハーフ」って検索したこともあります。
全てに怯えてたんです。
そんな状況が2年くらい続きました。