本記事は動画の【02:01】辺りから▶【深イイ話】人生で迷ったら思い出して欲しい言葉
優秀だった鴨頭嘉人の兄
うちの兄貴右利きなんです。
それで普通右利きってこうやって構えるじゃないですか。
そうすると「違うぞシンイチ」って言って、うちの親父が「こっちだぞ」って。
右投げ左打ちの方が有利なんです。
何でかって言うと世の中右利きの人が多いから。
そうすると右ピッチャーが多いんです。
右ピッチャーに対して左バッターって有利なんです。
もっと細かいこと言うと左バッターっていうのはバントしても一塁に近いんで、ヒットになりやすいんです。
それを3歳から叩き込まれてるんです。
うちは「おもちゃ買って欲しい」って言ったらボールかグローブかバット、それしかおもちゃなかったんですけど。
そうやってうちの兄貴はずっと「将来はジャイアンツに入るんだ」って言って育てられて、それでその通り兄貴はどんどん活躍していって、僕3つ下でなんて言うんですかね、コンプレックスの塊だったんです、今考えると。
当たり前なんだけど、僕は理解できなかったんです、子供の時。
3つ上のお兄ちゃんって身体も大きいし、投げるボールも速いし、打つのも打てるんです。
幼少期に抱えていた鴨頭嘉人の「兄貴コンプレックス」
でも勝ち負け半端なかったんで悔しくて悔しくて「お兄ちゃんに勝ちたい、勝てない」みたいなのがあってちょっと拗ねてたんです。
だから僕は下手だったし、何なら今覚えているのは仮病を使って練習をサボってたんです。
要はうちの兄貴は小学校…、すごい育て方だったな今考えたら、今時ないね。
うちの兄貴は1日3キロ走ってくるまでは晩飯食っちゃいけないんです。
ちなみに小学校の時から少年野球とかやってるんです。
普通の子たちと一緒に練習して終わって家に帰ってきてから、自分で3キロ走らないと夕ご飯を食べちゃいけないっていう家だったんです。
それぐらい野球漬けだったので、僕もそれ一緒に走ろうと思うんだけど、ついていけないんです兄貴に。
そうすると、悔しいから途中で泣いたりするんです。
途中で泣いたりすると兄貴は練習の邪魔になるから嫌なんです。
それで「またお兄ちゃんに邪魔者にされた」って泣くっていう、そういう弟だったんです。