マクドナルド教わった大切なこと1『肩書きではなく、仕事の価値は自分が決める』 〜その5〜
緊張の糸がとれた僕は電話を切って「楽勝~!」と仲間に向かってピースサインをしながら、マージャンを再開していました。
《そうだよ、たかがアルバイトなんだから、休みぐらいどうってことないよな…》。
その時の僕は、そんな考え方だったのです。
しかし、そのツケを大いに感じさせてくれたのは、次の日のアルバイトで店舗に行ったときのことでした。
緊張の糸がとれた僕は電話を切って「楽勝~!」と仲間に向かってピースサインをしながら、マージャンを再開していました。
《そうだよ、たかがアルバイトなんだから、休みぐらいどうってことないよな…》。
その時の僕は、そんな考え方だったのです。
しかし、そのツケを大いに感じさせてくれたのは、次の日のアルバイトで店舗に行ったときのことでした。
じゃあ俺は1日も早くあのスィングマネージャーになってやる!
そこに到達する為の道筋もハードルも知らずに、ひとり心の中で誓ったのです。
友人に誘われていやいや始めたマクドナルドのアルバイト初日はこんな風に波瀾万丈なスタートでした。
今から振り返ると、この時から僕の“日本一のマックバカ”はスタートしていたのかもしれません。
2006年より本格的な音楽活動を開始し、
2007年に1stシングル「優しい青」でデビュー。
路上ライブを年間300日以上実施し、
2012年11月には日本武道館での単独ライブを開催する。
Birthday Eve所属。
僕はトレーナーの川内くんが他のオーダーのフォローにいってしまった瞬間でも自信満々でハンバーガーのドレスを完成させ、諸先輩方に負けじと大きな声で「バーガーズアップ!!」と12個のバーガーをプロダクションコーラーに差し出しました。
…と、その直後でした。
目にも留まらぬ速さで僕が出したバーガー2個が、私に向かって飛んできたのです。
その男性はフライヤーに入った揚げ物を数秒ごとにコントロールしながら、何かのブザー音に合わせて、パンにタルタルソースをショットガンのようなものでカシッと打ちつけながら、目にも留まらぬスピードでバーガーを完成させて「バーガーズアップ!」と叫んでは、流れるような動作でラップをする担当の場所に運んでいるのです。
心の中で「あんなの出来るようになるまでに、いったい何年かかるんだろう。あの人は社員なのかなぁ?」と思いながら、呆然と見ていたのです。
そんな僕がマクドナルドでアルバイトをするようになったのは、大学生になって1人目の友人に「バイトならマックだよ!一緒に面接行こうぜ」と無理やりに連れていかれたのがキッカケでした。
「とりあえず、面接に付き合うだけだから・・・」と軽い気持ちで、所沢駅前のプロペ通りの入口にあるマクドナルド所沢店に入っていきました。
アチーブメント株式会社の青木仁志先生から炎の講演家!鴨頭嘉人への応援メッセージです!
以下抜粋
ハッピーマイレージの活動は私とも志同じくしている人だなと思います。
これからも志高く貫き、お互い世のため人のために貢献できる人生を全うしていきたいと思っています。
鴨頭さんの活動が多くの人の道しるべになることを大いに期待しています。
プログラムが終わって、外に出て明るくなって目が見える状態になって会場を出ると、夏の暑さが『においのように感じる』それくらい五感がとぎすまされている状態になれちゃう。
セミがどこで鳴いてるか完璧に分かるくらい聴覚が鋭くなったり…セミが鳴いてるのもただの鳴き声が聞こえるんいってるじゃなくて心臓の鼓動と同じように「生きてる実感」を表現するように鳴いている…そう感じられる気がするくらい感じ方が変わっていました。
いかに、この『人生で大切なことはみんなマクドナルドで教わった』が巻き起こした奇跡がこれまでの常識を大きく打ち破ってしまったかが、数字でわかると思います!!
ではなぜ?この『人生で大切なことはみんなマクドナルドで教わった』は無名の新人著書であるにも関わらず…このような奇跡を巻き起こす事ができたのでしょうか???
最初はとりあえず意味わからずそれを申し込んだ。その時には全く楽読とかにも興味なし。
中村成博さんを応援するってことだけで行く事になって、第一回目のレッスンが終わった後にわかったんだよね。“これは単なる速読ではない”って。